No English No Life

Written by Gaku Hanabusa

外銀で18年勤務した僕がオススメする英会話が上達するトレーニング
英語学習に関する基本的な考え方
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【英語で夢をつかんだ!】純ジャパが独学で英語を学習し外銀で18年間勤務することができたgAKUのプロフィール

『No English No Life』の運営者・英学のプロフィール

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皆さんこんにちは、英学です。
 

僕は、学生時代に英語学習の楽しさに気づき、コミュニケーションの道具としての英語の有用性に刺激を受けました。

 

それ以来私の人生は英語と共にあります。英語を身につけたことでそうでなかった場合の私の人生では絶対に目にすることができなかった景色を沢山見ることができました。

 

このブログを読んでいる皆さんもこれから英語を身につけてどんどん自分の人生を変えて、理想の自分になっていって欲しいと思います。なりたい自分を具体的にイメージしてそれに向かって努力することを継続すれば必ず夢をつかむことができます。

 

このブログを通して皆さん一人一人の夢が現実のものになるように、私が今まで蓄積してきた経験を価値として提供し共有できればと思います。

 

遠回りせず効率良くエネルギーを注げば成長は感じられるはずです。

 

成長が実感できれば努力は続けることができるのです。

 

その方法をお伝えしたいと思います。

 

 

 【目次】

 

1 英語に出会うまでの私

英語に出会うまではごく普通の子供時代を過ごしました。

 

1971年生まれ東京生まれ千葉育ち

 

普通の家庭に生まれ小学2年生からボーイスカウト(正確にはカブスカウト)に入隊し、キャンプやハイキングなどアウトドアに熱中する子供でした。

 

中学2年の時にオーストラリアで開催された世界的なキャンプの大会に参加し、この時初めて海外に行く経験をしました。

 

2 英語との出会い

オーストラリアでの滞在は10日ほどでそのうち1週間は地元オーストラリア人のスカウト達とキャンプ生活をしてとても楽しい経験をしました。

 

私の人生を変える出来事はその直後に訪れました。帰国する日の前日にシドニーのホテルに宿泊した時にその瞬間は訪れました。

 

私が英語にビビビッときた瞬間です。

 

そのホテルのロビーにいた時にスーツを着た日本人が流暢な英語を話しながらオーストラリア人と歩いてくる姿が目に入りました。

 

私はその姿を見て鳥肌が立つほどカッコイイと思い、この時英語は道具だということに気がつきました。

 

それからは英語学習がとても楽しくなりました。

 

ただその後も勉強はそこそこしたものの当時は性格的に探究心はあまりなく、学校の成績はいつも中の上か上の中くらいでこれといった特技もなくごく普通の中学時代を過ごしました。

 

中学3年になると当時流行っていた青春ドラマ「スクールウォーズ」に憧れて高校時代はラグビーをやりたいと思うようになりました。私は千葉県内でラグビーが強い公立高校に進学し、3年間部活に打ち込みました。

 

ラグビーがやりたくて入った高校だったので勉強はほとんどせず、成績はいつも全教科赤点というぐらいひどいものでした。

 

好きだった英語も成績は落ちました。あの頃は朝から晩まで部活だけが生きがいでした。しかし3年生になり受験生が近づくと好きだった英語を中心に少しずつ勉強を始めました。

 

3 英語学習で得た喜び

高校3年生の1学期に腕試しに英検2級に挑戦しました。するとなんと一発合格することが出来ました。当時は学校の成績がとても悪かったので、担任の先生がものすごく褒めてくれました。

 

勉強で褒められたことなどなかった私はとても嬉しく、それ以降は徐々に英語学習に対して真剣に取り組むようになりました。

 

当時は「東西冷戦」「ベルリンの壁崩壊」など国際情勢が大きく動いた時代で、そのような歴史的な出来事を英語で読んでみたいという興味が湧いてきました。

 

初めて駅のKIOSKでJapan Timesを買って分からない単語を調べながら読むようになりました。初めて英字新聞が読めた時の感動は今でもよく覚えています。

 

テレビで報道されているニュースを英語で理解出来たことは私にとってはとても刺激的なものでした。

 

それまでは英語というのは学校の教科書で扱われる内容しか触れたことがなかったのですが、ニュースが理解出来たことで新しい世界を見ることが出来たことにとても興奮しました。

 

その後はラジオで英語のニュースを聞くようになったり徐々に教科書以外の英語に触れるようになり色々な種類の英語を読んだり聞いたりすることが楽しくなりました。

 

この頃から時間があるときは皇居に行って片っ端から外国人観光客に声をかけて案内を買って出ました。案内と言っても当時は片言の英語が通じるか試してみたくて何でもいいから会話をしたいという思いでした。

 

勉強して身につけた英語が外国人と話して実際に通じることに感動しました。英語ほど素晴らしい知識はないと思い、私は益々英語学習が好きになりました。

 

4 英語学習をやめたくなったことがあるか?

私はなぜ英語学習をやめなかったのでしょうか?

 

主に3つの理由があります。

 

1つ目の理由は、「人生で初めて勉強することの意味が分かったから」です。努力して英検2級合格という結果が出て当時の担任の先生に褒められたことで、強い喜びと快感を得ることができました。

 

そして同時に成長することの楽しさを実感したのです。

 

それまでは勉強はさせられるものであり、やらなければならないものでした。自発的にやるものではなく、努力することは苦痛でしかありませんでした。

 

しかし、英検2級合格という自信を糧に自ら外国人に声をかけて自分の英語力を試し、伸ばそうというくらいポジティブになりました。

 

この経験を通じて、

 

2つ目の理由は、「努力はすごい結果を生む」ということを学びました。毎日少しずつ英語を学習して身につけた単語や文法などの知識のおかげで素晴らしい体験ができ、大きな世界が広がっていることに気がついたのです。

 

努力すると自分が成長する。英語が通じるようになるとその成長が加速する。思考回路がどんどんポジティブになり何に対しても前向きに挑戦できるようになり、英語を武器に生きていこうと強く思えるようになりました。

 

そして、

 

3つ目の理由は、改めて「英語が話せたらカッコイイ!」と思いました。

 

これはまさに中学2年の時にオーストラリアに行った時にシドニーのホテルのロビーで見た日本人のビジネスマンの姿です。

 

大きな外国人を相手に対等に英語で会話をし、世界を股にかけて仕事がしたいと思いました。単純に「英語が話せたらカッコイイ。自分もそうなりたい。」と思い、できれば英語が公用語の海外の組織で活躍したいという気持ちが強くなりました。

 

その頃から私の将来の夢は「英語を使って国際的な職場で働く」ことになりました。

 

そんな私は受験するにしても行きたい大学が日本にありませんでした。夢は国際的な職場で働くことなので、英語で授業を受けられる環境を求めていました。

 

しかし、留学するにしてもそんな大金はありません。

 

色々と情報収集しているとアメリカの大学の日本校の存在を知りました。詳しく調べると授業は全てメインキャンパスから配属されたアメリカ人の教授が英語で授業をしていることを知りました。

 

私はまずここで4年間ガムシャラに勉強することを決めました。

 

周囲はみんな反対しました。理由はその大学の存在を知らなかったからです。

 

私は日本の大学を卒業しても日本でしか活躍できない。

 

「そんなの絶対イヤだ!!」と強く思いました。

 

アメリカの大学を卒業出来ればその後は世界中で働くことができるのになぜ周囲が反対するのか理解できませんでした。

 

大学に入ってからは授業についていけなくて初めはもがき苦しみましたが、全く後悔はありませんでした。

 

5 周囲の声を無視し、世界を見据え勉強に打ち込んだ大学時代

金銭的な理由により留学の選択肢はなく国内のアメリカの大学に入学。

 

入学後はサークルや部活に入らず、飲み会などにも行かず、カラオケやスキーなどの旅行にも行かないでとにかく毎日起きている時間は可能な限り勉強しました。

 

特に最初の頃はそうしなければ授業についていくのがやっとっでした。大学の勉強に慣れてきた後も努力して成長を実感することが楽しいことだと理解していたので、勉強ばかりしていました。

 

おかげで大学時代は毎日ワクワクするような時間でした。

 

華やかな大学生活を送るより、華やかな人生の基礎を作りたいと思って過ごしていたので毎日感じる充実感はハンパなかったです。

 

将来自分が華々しく海外でキャリアを重ねている姿を明確にイメージしていたから夢と希望に満ちていました。

 

英語力は順調に伸びていき、TOEFLは600点を超え、TOEICは980点のレベルまで到達しました。

 

英語力がついたことで学校の成績は伸び、2年目からは成績優秀者に支給されるアカデミックスカラシップを取得し学費は(結果的に卒業するまで)全額免除となりました。

 

さらに沢山の授業を受けてもついていけるようになったので、専攻は当初考えていた政治学(国際政治)に、アジア研究も追加してダブルメジャーを目指しました。

 

周囲はバイトや遊びに忙しく大学に行かないのが普通でした。

 

3年生の途中から周囲の学生は志望動機を沢山書いて特に目的もなく就活をしている姿を横目に見て自分はそんな人生の決め方は絶対に嫌だと思っていました。

 

人生は一度きり。

チャレンジングな人生にしたい。

 

周囲に同調するような人生ではなく、自らの意思で切り開き自分が主役の人生を描き自分の時間を過ごしたい。

 

入社した会社や配属先の上司や先輩など他人の人生を過ごしたくないと思いました。そう思っていた私は、卒業が近づくと東京に支店があるアメリカの金融機関何社かに履歴書を送りました。

 

6 大学を成績優秀者の称号を得て卒業し米系金融機関に就職

勉強に対して猛烈なエネルギーを注いだ4年間が過ぎ、終わってみれば2年目から卒業までの3年間は返済不要の奨学金をもらい、「マグナ・クム・ラウデ」という上位5%以上の成績優秀者にしか授与されない称号付きで卒業しました。

 

卒業後はそうした自分の努力と成果、そして運も味方にして、目標としていた米系の金融機関の東京支店での就職が決まり、アメリカの金融市場の中心で働くことになりました。

 

配属された部署は10名ほどのチームでしたが、私を除いて全員アメリカ人でした。英語には絶大な自信を持って満を辞して飛び込んだ米企業でしたが、職場でのアメリカ人の会話はほとんど理解できませんでした。

 

仕事の内容も専門用語や金融用語もわからないので無理もありません。

 

英語ができると思っていた当時の私には受け入れがたいショックでした。でもショックを受けてばかりはいられません。ラジカセを会社に持っていって自分のデスクに置いて同僚のやり取りを全て録音して休日それを再生して聞き取る訓練をしました。

 

辛いといえば辛かったですが、これをクリアすれば学生時代の夢だった米企業でキャリアを重ねていけると思い必死でした。

 

子供の時の自分が見た夢をつかみかけていることを強く意識しました。2年目になると徐々に慣れ仕事のスキルも身につき週末は録音を聞くこともなくなり友達と遊びにいくようになりました。

 

その後は仕事が軌道に乗りヘッドハンターからも声がかかるようになり、何度もオファーをもらい、米英仏の外銀を渡り歩き国際金融市場業務に従事しました。

 

東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、香港、シンガポールなど、世界の金融センターを頻繁に出張してまわり現地で働いている外国人の同僚たちと一緒に仕事をする日々を18年間過ごしました。

 

7 米英仏の外銀で身につけた国際感覚、英語力、金融市場で起きている出来事などを共有したい

私はこれまで英語学習を通じて様々な取り組みをし、英語を使って外銀でキャリアを積み重ねてきました。

 

その中で色々な経験をし、行動をし、得られたものは、学生時代の頃夢だった自分の姿でした。

 

それだけではありません。理想の結果を導くために必要な知識、考え方、行動様式など、多くのことを習得することができました。

 

当ブログ「No English No Life」 では、「英語で夢を勝ち取ろう!」をモットーに、私がこれまで積み重ねてきた経験と知識を多くの方に価値として還元したいと思っています。

 

英語を武器に活躍したいと思う英語学習者の目標を、少しでも達成できるようにするために、これからも研鑽を積み、価値を生み出し、皆さんと共有していきたいと思っています。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。